

Personal history
山梨大学でぶどうとワインについて4年間学び、富良野(北海道)、伊豆(静岡)で合計17年間ぶどう栽培とワイン醸造の技術や経験を積ませていただいた末に、周防大島でワインをつくることに行き着きました。今まで出会った全ての方々に感謝を込めて、これまでのストーリーをまとめてみました。
栽培醸造者 松本英也

山梨大学
山川研究室ぶどう育種試験地
(1992-1996)
山梨大学工学部化学生物工学科(旧発酵生産学科)に入学し、3年間で化学生物学全般から微生物・発酵学を学び、4年生では念願の狭き門2名枠の山川研究室育種試験地でぶどう栽培とワイン醸造学について学びました。大学のキャンバスからは程遠い山の上に育種試験地はあり、車がないと通学するには難しい場所で、当時4年生の学部生2名、大学院生3名、留学生2名、それにぶどう栽培について教えてくださる技官さん2名と山川先生の計10名で1年間ぶどうやワインに関する研究を行いました。朝から夕方まで育種試験地で研究課題に取り組みましたが、一日の中で最も大変だったのはお昼でした。山の上なので学生食堂などはないため、月に一度5000円ずつ出しあってスーパーへ1ヶ月分の食材を買い出しに行き、毎日当番 制で全員分のお昼ご飯を作ります。
春は山に自生しているタラの芽を採っては天ぷらにし、夏は地中1メートル以上の深い穴から自然薯を掘り出して他研究室の学生を招いて食事会を開催し、秋には先生方が山菜たっぷりのほうとうを作って下さいました。
山川先生はとても穏やかで優しい先生で、ヤマソービニオン[+]の生みの親です。
【先生から教わった数々の名言】
「ブドウはワインの生みの親」
「ワイン造りはブドウ作り」
「良いワインは良いブドウから」
「ワインは風土の産物」
「ブドウを知らずしてワインを造るな」
「ワインを知らずしてブドウを作るな」
「ブドウの品質を決める4つの要因は、品種・気候・土壌・人間であり、これらがワインの多様性を生み出す」etc...
ちなみに、妻は1年後輩で、私が卒業して次の年に同じく2名枠の難関を運よく突破し、山川研究室で同様の学生生活を送りました。
この山梨大学育種試験地で学んだことが、今現在でもぶどうとワインに対する考え方の根底にあります。

富良野
ふらのワイン
(1996-2003)
北海道有数の観光地ふらのを代表する「ふらのワイン」は1972年に開設された富良野市直営の歴史あるワイナリーです。1996年に富良野市の栽培醸造技術吏員として採用していただき、ふらのワインをつくる「富良野市ぶどう果樹研究所」へ配属されました。初めの5年間は市営ぶどう園地の管理と、市内契約ぶどう農家の栽培指導が主な仕事でした。
もちろん、当時25ヘクタール以上ある広大なぶどう園地の管理も、30戸以上あるワイン用 ぶどう栽培農家の指導も到底一人でできる仕事ではありません。それどころか、まだ経験不足で無知な私にぶどうに関する沢山の知識や技術を教えて下さったのは、ぶどう園地で働くパートの方々や、ぶどう農家の方々でした。職場の上司や先輩の方々も家族のように親身に面倒を見て下さり、のびのびと仕事をさせていただきました。富良野の人たちは、とにかく優しく温かいのです。
ぶどう栽培についての経験を積み、その後ワインの製造業務の担当に異動しました。
ぶどうの仕込み量と、ワインの製造量は桁違いの規模でした。ワイン製造はまさに体力勝負です。タンク間のワインの移動は、長く太いホースを消防員並みに担ぎ、タンクとタンクの間にポンプを取り付けて行います。それぞれのタンクに作業員が配置されトランシーバーでワインを流すタイミングやポンプを止めるタイミングを確認しました。ポンプを止めるタイミングが合わず、全身ワインまみれになった事もありました。
樽熟成庫では、熟成中のワインを日々管理する作業があります。膨大な数の樽を一つ一つ開けては化学分析を行って品質管理をすることは、良質なワインづくりには欠かせない作業でした。また、製品となる瓶詰め作業は、1日で数千本をパートの方々と協力しておこないます。
瓶詰め作業を円滑に行うには、事前準備が最も重要でした。機械のメンテナンス、梱包資材の準備、パートの方々とのコミュニケーションも瓶詰めを成功させるための重要要素でした。夏の観光シーズンは直売店でお客様にワインの説明も行いました。より分かり易くワインの説明が出来るようにと、世界のワイン全般を一から改めて勉強し様々なタイプのワインをテイスティングして、ブドウ品種の特徴や世界各国の風土によるワインの特徴を覚える訓練を重ねて、当時富良野地域では初のワインアドバイザーの資格を取得しました。
富良野でのこれらの経験から、ワインを様々な角度から見ることで、ワインづくりに必要な技術や作業を身に付けることができました。

